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【ウエディングSTORY】一生のお願い

 

一家の大黒柱。 大抵の家庭では父親を想像すると思う。

うちの場合、大黒柱は母だった。

仕事柄、朝早くに出て遅くに帰ってくる父。

加えて出張を繰り返す多忙な父は家にいることの方が珍しかった。

その間、うちの家族を支えてくれていた母。

女手一つで自分と兄を育ててくれた、いつも元気で明るい母。

授業参観、運動会、卒業式。

学校の行事にはあたりまえのように全て母が来ていたし、

休みの日に公園で遊んでもらったり、どこかに連れて行ってもらったり…

父には”父親らしいこと ”をしてもらった記憶はほとんどなくて。

月曜日に父との思い出を語る友人を見ては、羨ましいなと思ったことも、

自分の大切な日に、休みを取ってくれない父親を恨んだことも、

きっと自分のことなんてどうでもいいんだと、涙をこぼした日さえあった。

誕生日やらクリスマスのプレゼントは欠かさず贈ってくれていたけど、

それよりも父と一緒に迎えることの方が重要だった当時の自分にとっては、

そのプレゼントが逆にご機嫌取りのように思えて、父が嫌いな時期もあった。

でも成長するにつれ、そんな感情すら抱かなくなって。

うちには母がいるから。

それだけで十分すぎるほど、毎日は平穏に過ぎ去っていった。

たまにしか会わない父よりも、母との時間も思い出も自分の中では圧倒的に多かった。

それこそ兄が就職してからは、食卓はいつも母と二人きりだった。

よく喧嘩もするけど、なんでも話せる母。

”家族 ”と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、やっぱり母だった。

小さい頃は、父がいなくて寂しくないの? と尋ねたら、

あんたたちがいるから大丈夫。なんにも寂しくないよ、と笑っていた母。

結婚を機に実家を出ることになって、母を一人にしてしまったから…。

それだけが気がかりで、彼にお願いして結婚式の前夜は実家に帰った。

久しぶりに母と二人で食卓を囲んで、あの頃と同じ質問をする。

そうしたら、 遠距離恋愛してるみたいで楽しいよ、 と子供みたいな顔で笑った。

確かに、思い返せば父が帰ってくる日は、

夕飯のラインナップは父親の好物で埋め尽くされていたし、心なしかいつもより楽しそうな母。

いつまでたっても母の中での”特別 ”は紛れもなく父なんだなと、子供ながらに思っていた。

羨ましくもあったし、母の心をそのときだけは独占できる父に対して、やっぱりずるいとも思った。

そして数十年経って気づいたことがある。

いつも弱音を吐かず、涙も見せない母が、わたしが父に対しての不満をこぼすときだけ、 少しだけ悲しそうな顔をすることを。

お父さん、あんたの大事なときにいつも近くに入れなかったこと、

一番悔しそうにしてたんだから。そんなに嫌いにならないであげて、とも。

同時に母を、”母親 ”として、の前に、一人の女性として心から尊敬した。

どこかに連れてってとか、一緒に遊ぼうとか、子供の頃に叶えてもらえなかった分だけ、

”一生のお願い ” として、父に約束してもらうことはたったの一つ。

 

”母を幸せにしてあげてください。

 

両親と花嫁|ピエトラセレーナ

 

 

 

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